● 「善知鳥」について
ウトウ(善知鳥)
学名:Cerorhinca monocerata
ウトウ(善知鳥)は、チドリ目ウミスズメ科に属する海鳥。体長30pほどの大きさで、背面は黒褐色、くちばしは橙色。くちばし基部に位置する特徴的な白い突起物から、海外では“Rhinoceros Auklet ”(サイウミスズメの意)と呼ばれる。顔の“白髪”は繁殖期だけにあらわれる特徴。

狩りは群れで行われ、集団で潜水し小魚の群れを一ヶ所に追い込み、捕食する。

営巣場所は天敵に襲われにくい崖の岩棚などを好み、地面に穴を掘って生活する。

※ ウトウの詳しい生態についてはフリー百科事典Wikipediaをご覧下さい。
 ● 青森と善知鳥の関わり

「青森」という地名は、寛永元年(1624年)に津軽藩二代目藩主、津軽信牧(のぶひら)が小さな漁村だった善知鳥村に藩港の開発を命じた事より始まり、漁師が目印にしていた小高い丘の森から由来して、「青森村」となったのが始まりとされている。

「青森」の由来が明確だったのに対し、烏頭中納言安方の伝説はあったが、「善知鳥村」がなぜにそう呼ばれるようになったのかが謎であった。

しかし、平成9年と10年に油川沖にてアマチュアカメラマンによって善知鳥の姿が撮影され、また津軽藩の学者である山崎蘭州による『善知鳥の図』が発見され、その文中に「外ヶ浜沖合いの島に棲む」と書かれていたのが明らかになった。

「外ヶ浜」とは、現在の油川がかつて呼ばれた地名であることから撮影場所とも一致し、かつて善知鳥が生息していた裏付けとなった事から、「善知鳥村」の由来はその名の通り、善知鳥の姿が見られる珍しい場所であった事からなのだろう。。。

ちなみに、善知鳥は浪岡町との合併以前まで市の鳥に指定されていた。
 ● 善知鳥にまつわる伝説

もともとはアイヌ語で「突起」を意味する言葉のようだが“ 善知鳥 ”と書いて「うとう」と読むのは非常に難しい。

どうやらこれは当て字のようで、延喜の御代(約900年前)に大発生し、百姓達を苦しめたと言われている善智鳥(よしちどり)・悪智鳥(あしちどり)の話に由来するという説や、青森市民には馴染みの深い青森市安方にある「善知鳥神社」に関連した伝承が、“善知鳥”を「うとう」と読ませているようである。

烏頭中納言藤原安方朝臣という貴族が流罪となり、さすらい歩いて辿り着いた「外ヶ浜」なる地で亡くなった。その亡霊は見た事もない鳥となって海に群がり、磯にたくさん鳴いていたのを、その君の名をとってこの鳥を「うとう」と呼び、その霊を祭って「うとう大明神」と唱えたと言われている。

善知鳥といえば、『新古今和歌集』の編纂者としても有名な藤原定家が詠んだ和歌「陸奥の外の浜なる呼子鳥鳴くなる声はうたふやすかた」が有名。これは、善知鳥猟で雛を捕まえるために猟師が「うとう」と呼び、それに対し雛が「やすかた」と答えるという言い伝えからきている。

また、烏頭中納言安方の化身物語である能の謡曲「烏頭」も有名だが、浄瑠璃に登場する人物「善知鳥安方」は作品における創作上の人物とされながらも、そのモデルは「烏頭」同様、烏頭中納言藤原安方であるとする見方が有力であるようだ。